渡辺次男先生のご紹介

なべつぐこと渡辺次男先生についてご紹介します。以前よりブログでは ご紹介している内容を編集しなおしご紹介します・・・


第1話  はじめに。 がんばれ 受験生!

がんばれ 受験生!
夏になって夜の繁華街をフラフラしていると、夏季講習の帰りらしき受験生の姿を見つけます。

夜遅くまで意味のわからない数学や物理と取り組んでいたのでしょう。
まだ日本も棄てたものでないと、30年まえの自分と重ねてしまいます。
このブログでは受験生に少しでも元気を与えればと思い始めることにしました。
これから頻繁に登場する「渡辺次男先生」とは予備校の教師をなさっていた方です。
おそらく30代から70代の方でご存知の人が多いことかと思います。
渡辺次男先生は当時の受験生にとって命の恩人以上の方もいることと思います。 先生のエピソードも交え、これからしばらく受験生にエールを送りたいと思います。


第2話 数学ぎらいはつくられたものです

渡辺次男せんせいの教え子でM君の場合はこうでした。

M君の家族は皆工学家族で、父は会社の技師、兄二人は大学の工学部に進学しました。
本人は数学はきらい、物理はみるのも嫌だそうでした。
ところが父親も兄貴もM君をしごくのだそうです。
いよいよ本人、数学がきらいになり、家にいるのがつらく予備校に来ているそうです。
そこで先生は「君、今日いえに帰ったらこう宣言するのだ。今日から本気でやることにした。
ついては干渉しないでくれ。そして今日から先生がしごいてやるから教科書を持って来い。」と

こうして本当にはじめからやり直し、見事工学部に入学し立派なエンジニアになったそうです。
ノーベル物理学賞をとった湯川秀樹は自伝「旅人」の中でこのように書いています。
「自分が数学科ではなく物理科に行ったのは、数学の試験で先生の教えた方法と違う方法で解答したら、
0点にされた。だから数学科に行くのをやめた。そのため物理科に行ってよかった」
このように数学ぎらいは多くの場合つくられたものなのです

第3話 君はどのタイプですか?

渡辺次男先生は受験生のタイプには、大まかに4つのタイプがあると言っていました。
受験生の数学に対する態度はおおまかに「好き・嫌い」と「得意・不得意」とにわかれ、組合せは4つになります。

1.得意で好き

2.得意できらい

3.不得意で好き

4.不得意できらい

得意できらいという人は少ないようです。以外と多いのが不得意で好きなタイプです。
先生の教え子で数学科志望の受験生B君がいました。
むずかしい問題を3日も4日もかけてヤルのが好きでした。
ある日先生がそろそろ基礎固めをしたらどうだい。と言うと、B君はどういう意味ですかと言った。
B君に問題集を持ってこさせ、それをバラバラにして、解答は棄てる。こうして持ってきた問題に先生が印を付け やってこさせると、さっぱり出来ない。

つまりB君の場合、むずかしい問題の解答の理解に埋没し、数学をやっていないのでした。
好きで得意なタイプの人は、落とし穴はあるものの、軌道に乗った勉強をしているのでいいでしょう。
最後にきらいで不得意なタイプの人です。このタイプの人は、いままでサボッテいただけなので、ひとたびやりだすとグングン伸びるのです。ただしやりだすためのキッカケが必要になります。 先生はよく決心の深さは「行動」を通してみるしかないと言っていました。

たとえば、ある人が「さあ、やるぞ!」と100万回唱えても、実行をしなければ決心したことにはなりません。

次回はこの「決心の深さ」についてお話しします。

第4話 決心の深さを測るには

勉強は決心にはじまります。
決心した人が100万回「勉強をやるぞ」と唱えても、その決心の深さは「行動」を通してしか確認できません。

渡辺次男先生と飲みに行ったとき、こんな話を聞かせていただきました。
先生の教え子C君は岡山県の農家の人でした。本人は大学に行きたいが、家計がそれを許しませんでした。

悶々と5年の間畑仕事をしているのを見かねた父親が、「今年は豊作は確実だから、大学を受けてみないか?  ただし1回切りだよ」と。
それが8月のことで、東京に出てきて渡辺先生に習うことになりました。

彼にしてみれば、それは一生に1回の機会でした。その1回に賭けたのでしょう。この決心を支えたのは父親の一言でした。
本人の勉強はすごかったとの事でした。
これを聞いたとき、決心の深さとはこういうものだと、自分が恥ずかしかったことを覚えています。

次回は継続することの大変さについてです

第5話 もっとも困難なことは「継続すること」です

勉強することは困難でありません。それを継続することが難しいのです。
渡辺次男先生は授業でよく言っていました。

先生の教え子Dさんは、大学に行く気もなく、就職も決まっていたそうです。 卒業式の日に担任の先生が「君はどこの大学に行くのか?」とDさんに言ったところ、Dさんは冗談で

「東京工大です」といいました。
すると担任は「君が東京工大に入ったら逆立ちをしてみせる」といいました。
彼は猛然と怒り、就職もやめ代々木にあるY学院の渡辺先生のところに行きました。
彼は毎日、夜1時にピーナッツを半粒食べ、練る決心をし、毎日1年間つづけました。
眠くて勉強にならない時は、1時まで目覚まし時計の前で待ち、1時を待ってピーナッツを半粒食べ 寝ました。
ピーナッツを食べ忘れ寝てしまった時は、寝床から起きて学生服に着替え、ピーナッツを食べ また寝たのでした。
ピーナッツを食べることは困難なことではありません。

この習慣を1年間継続することが困難なのです。
次回はちょっと休息し、いままで唐突に出てきた渡辺次男先生についてご紹介します。

いまの若い受験生で知っている人はいないと思いますが、この先生ほど優秀で人格者である人は ほんの稀にしかいないと思います

第6話 「なべつぐ」こと渡辺次男先生について

今の受験生で渡辺次男先生をご存知の人はいないと思うので、知る限りでお話します。

30〜70代のかたはご存知のひとも多いことと思います。予備校で教えて40年以上に
なるかと思います。

先生は1916年生まれで秋田県の出身です。東京理科大学数学科のご卒業です。
当時は東京物理学校と呼ばれ卒業するのが困難な大学と言われていました。
研究所で仕事をされてましたが、戦況が悪化したのでしょうか、乙種合格で戦争に3年 いかれました。
研究所にもどられ、頭が前の状態に戻るまで大変だったそうです。
以下の話は先生と飲んだ時のことですが、周りがうるさくて多少不正確です。

アインシュタインの研究所に日本からはじめに行く予定だったのが、渡辺先生でした。
ところがこれにマッタをかけたのが東大の先生だそうです。
なぜ、東大からではなく私立の理科大からというのが理由だそうです。
最後は渡辺先生はキチガイ扱いされたそうです。

これが理由かは聞きませんでしたが、その後大学や予備校で教鞭をおとりになりました。
気象大学、東京理科大、明星大学、代々木学院、新宿セミナー、武蔵予備校、両国予備校、
英進予備校、栄光予備校、渋谷ゼミナール、新宿予備校、九州、茨城、富山、福島 ....
また先生はたくさんの著書があります。当初は書きたくなかったそうです。
先生が研究所時代の本に「近代気象調査法」という著書がありますが、全部数式でチンプンカンプン です。

もちろん気象は独学で勉強されたそうです。
でも日本で一番難しいと思われる大学「気象大学」で先生をしていたのですから、先生の頭脳・努力 は想像を超えたものでしょう。

このブログを見て先生の近況を知りたい方が大勢いると思います。
先生とは数年前から飲みにはいけなくなりました。また3年ほど前から手紙の返信も途絶えて しまいました。
先生の飲み友達の予備校の先生に確認したところ外国にいるそうです。

随分長くなってしまいました。
先生がどのうように受験生が出来るようになったか、その方法をまたの機会にお話します

第7話 受験数学は答案で完結します

さて、数学が出来るようになるには、はじめに決心することでした。次に継続することでした。
最後に答案によって完結します。
よく答案をレポート用紙に書いて、すぐゴミ箱にすてる人がいます。これはマズイ。 どうやら出来たらしいと思い、勉強をした気分を味わっているだけです。
正しい答案はいかのようにします。 A4サイズの大学ノートを買ってきて、あらかじめ右端4センチに線をひきます。これは計算ように用います。 そして問題をアオの万年筆で写します。必ず問題を写してから解きます。 そして答案はエンピツで丁寧に書き、計算ははじめに引いた線の右側で小さい字で丁寧に行います。 解答が終わったら答えを確認します。
そして次が大事です。
もし間違っていたら、解答した上に、白い紙を貼り付けます。ただし糊は紙の上辺にだけ着けはります。 これは前回の解答と比べることが出来るようにするためです。 そして今貼った紙にまた解答をエンピツでします。間違っていたらまた紙を貼り繰り返し出来るまでします。 いつしかノートはブクブクに膨れ上がります。そしてこの感触を知ることで初めて勉強のやり方を分かった 思うはずです。

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アーベルはガロアと同時代の数学者です。また二人は四則演算と累乗根で5次以上の方程式がとけないことを証明しました。アーベルもまた26歳の若さでこの世を去りました

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